
山口県 萩市にある松陰神社を参拝してきた。
吉田 松陰は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者だ。
歴史が好きな方なら一度は名前を聞いたことがあるのではないだろうか。
松陰神社は吉田松陰先生を主祭神とし、伊藤博文や野村靖など神社の創建に携わった偉人や末社松門神社にて53柱の命様をお祀りしている。
早速ご紹介しよう。
松陰神社 参拝レポート
まずは基本情報からご紹介。
基本情報
神社名 | 松陰神社 |
住所 | 〒758-0011 山口県萩市椿東1537番地 |
電話番号 | 0838-22-4643 |
主祭神 | 吉田松陰 |
入場料 | 無料 |
駐車場 | あり |
ウェブサイト | 【公式】松陰神社|山口県萩市鎮座 明治維新胎動之地 (showin-jinja.or.jp) |
御由緒
以下、ホームページより引用。
松陰神社の御祭神、吉田矩方命(以下松陰先生)が殉節されてから31年後の明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われました。このとき松陰先生のご実家、杉家の人々の手で松陰先生の御霊を祀る土蔵造りのほこらが建立されました。これが松陰神社の前身であります。
明治40年(1907)、松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって、このほこらを公の神社として創建しようと、山口県に請願書が提出されました。同年10月4日に、当時の社格制度の中で県社の社格をもって創建が許可され、土蔵造りのほこらを松下村塾南隣に移して本殿としました。萩城の鎮守で、当時廃社となっていた、宮崎八幡宮の拝殿を譲り受け移築するなど、境内の整備が進められました。
昭和11年(1936)、松陰神社改築奉賛会が設立され、翌年には王政復古七十周年記念事業として、神社神域拡張工事が着工されました。昭和15年(1940)には新社殿が起工され、同17年(1942)には桧皮葺の社殿が竣功しました。しかし大東亜戦争が激しさを増し、国家総力戦の様相を呈するに至り、遂に御遷座されないまま終戦を迎えました。
戦後、社会情勢が落ち着くと、厚東常吉などが中心となり事業を再開しました。新社殿屋根を銅版に葺き替えるなどの改修工事をおこない、ついに昭和30年(1955)10月26日に御祭神が新社殿に遷座されました。これが現在の松陰神社本社であります。
翌昭和31年(1956)には、旧社殿を新社殿北隣に移し、松陰先生の塾生、門下生を御祭神とする末社・松門神社が建立されました。平成22年(2010)10月、松陰先生御生誕180年記念に10柱を追合祀しました。更に平成27年(2015)10月、松陰先生の遺書「留魂録」を守り抜き、後世に伝えた功績をもって、沼崎吉五郎命を合祀し、現在その御祭神は53柱であります。
アクセス
参拝レポート
今回は車での訪問。
日曜日ということもあってか駐車場はほぼ満車の状況だった。

駐車場から降りてすぐのところに鳥居がある。
境内はとても穏やかな雰囲気に包まれている。

▲最初の鳥居を過ぎた地点での境内の様子。

▲吉田松陰歴史館が境内にある。
吉田松陰の生涯を、70体以上のろう人形で再現した展示施設だ。
前回参拝時に入場したが、吉田松陰の歴史を学ぶ上でもとても勉強になった。
入館料/大人500円 中高生250円 小学生100円

▲入口には伊藤博文、山縣有朋の蝋人形が展示されている。

▲本殿に向かう途中に幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる「松下村塾」がある。


▲松下村塾に関する説明もされている。

▲ここから多くの門下生が生まれたことを思うと感慨深い。

▲本殿へ参拝。


▲手水舎にて手を洗う。

▲凛々しい狛犬。

▲参拝を終えて、再び松下村塾を通り帰ることに。
まとめ
今回で松陰神社への参拝は三回目の参拝となる。
松下村塾の前を通るとエネルギーが湧いてくるから不思議だ。
吉田松陰に関連する書籍は数冊読んだが、ビジネスのみならず人生の糧になる学びが非常に多い。
また参拝できる日が来ることを願いたい。
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